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#8

お久しぶりです、ユキです。今回は人が亡くなった話なので、ご注意ください。


更新出来ていない間、過去の想起にとらわれていたり、身内に不幸があったり、キョウくんが吹っ切れたり。友達から尤もかつ残酷な事実を伝えられたり、心身ともに回復傾向になり、薬を何度も調整してみたり。


そんななか、ふと虫の知らせか、ある日体調がどうあれ絶対に会いに行かなければ、と思う、ひとりの女性が思い浮かびました。


彼女は祖母のきょうだいであり、第一子。震災で亡くなったきょうだいも取りまとめて面倒を見てきた非常に立派なご高齢の方、けれどいつお会いしても酷く上品で、礼儀正しく、わたしたち親戚の子供たちの面倒を(礼儀作法も含めて)見てくれていた、本当に素敵な方でした。


今じゃなければいけない。どうしたって、ずっと大好きで、感謝していて、幼い頃からずっとお世話になっていた親戚に会って、この気持ちを伝えなければならない。そんな気がしたんです。だから、わたしは無理を言って、姪や甥も連れ、養護ホームへ、家族全員で行きました。


甥は両親に任せ、姪とわたしの姉と一緒に、十分間のみ許された面会時間のために数時間をかけて漸く会えた彼女はとても痩せていて、声を出すことも難しい様子でした。けれどわたしと姉は必死に彼女に声をかけました。


おばあちゃん、覚えてる?わたしよ、それから、姉と姪ちゃん。久しぶりに会えてとっても嬉しい。お部屋も窓からの景色も素敵ね。ああ、ほら、見えるかな、せっかく久しぶりに会えるものだから、わたしたち嬉しくっておめかししてきたの。


十分間なんてあっという間で、退室を告げる係の人に連れられて、入れ替わる形で両親が甥と共に部屋へと入り、わたしたちは違うフロアにある待合室で両親を待ちました。


「家に帰りたい」


そう言ったのが、聞こえました。もちろん、声は聞こえませんでしたが、理解できてしまったのです。それが最期の願いだということが、けれど叶えられることのないものだと。退室時に経過観察ノートを見たところ、数時間前に「『家に帰りたい』と発言」と書かれていて、心が締め付けられるようでした。


それから何日経ったでしょうか。


もう一度対面した彼女は酷く冷たくて、けれど穏やかな表情で眠りについておりました。もちろん、綺麗な四角い箱の中で、美しく芳しい花々に囲まれながら。


……彼女に面会に行き、姉家族と分かれたあと、そう日付も経たない内に、訃報は届いていました。親戚の中で、お世話に来ていた娘さんを除けば最期に会った人々、それが私達でした。


小さな壺に入れられた、背の高く美しかったそのひとは、ご家族とともに一度家へと帰られました。それを見送って、彼女がよく見ていたという海を暫く、ぼんやりと眺めて、集まった親戚一同も各々帰路につきました。


未だに実感はわきません。ただ遠くて会いに来るのが難しくなっただけのような気がしています。涙の一滴も流れず、悲しみも寂しさも浮かぶことはなく、まるでどこかへ忘れてしまったよう。


けれど煙と灰になった彼女は、何れ何処かで恵みの雨となり、大地へと還るのでしょう。彼女の21gはわたしの眸に映ることはなく、ならばハキハキとした、背筋の伸びたいつもの早足で、身体から離れたあとすぐに向かうべき処へ逝ってしまったのでしょう。


本人にとって良かったのか、それとも望んでいなかったのかはわからないけれど、大往生をした彼女は、きっと祖母や先立った親類に迎えられるのでしょう。またそちらが少し賑やかになって、こちらは少し静かになって。


それでも繋がれた命が、血の繋がった赤子が、誰が思わずともきっと彼女の生きた証となるのでしょう。きょうだいたちの紡いできた命が、彼女との記憶を語り継ぐのでしょう。


知っている?人は二回死ぬのだと、話に聞いたことがあるの。一回は身体が亡くなった時、もう一回は誰からも忘れ去られてしまった時。きっと、二度目はまだまだ先なんだわ。だってほら、みんな楽しそうに、嬉しそうに、貴女の話をし続けているから。


ひこうき雲にうたを乗せて。貴女は下手だねって笑うかもしれないけれど、それでもこれはわたしのやりたいことだから。


またね、きっと遠い遠い未来で、再び相まみえますように。最期に会えて、本当に嬉しかったよ。


それじゃあ、おやすみなさい。

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